前回の続きで、霧ヶ峰隧道南西側坑口を目指します。
南西側坑口への道
歩いて山を越えればすぐに反対側へ出られるらしいのですが、藪が濃いので先ほどの分岐を左に行って林道経由で反対側の坑口へ回り込みます。
この先も林道は未舗装ですが、路面の状態は良く、しばらく上った後は下りなので気持ち良く走れました。🚲
この位置まで下ってきましたが、ここまで下った分はまた登らなきゃいけないわけです。(標高差は160mほど)😅
今下ってきた道は中沢線、この分岐から先は下横河川線になります。
道はもちろん未舗装ですが、こちらも路面は良い状態です。
途中こんな看板があり、トンネルは目印になっているようです。
途中で水路が道とは別の方向に流れていました。
わざわざ水路で水を流すということは何かあるんでしょうが、どこにつながっているかは確認していません。
道には轍があり、この辺りも頻繁に車両が入っているようです。🚚
ラストスパート。
最後にここだけ駒止めが設置されており、道も芝生っぽい草地になりました。
何かローアングルで撮ってみたくなる雰囲気のいい場所でした。
で、お目当ての霧ヶ峰隧道南西側坑口が見えてきました。
ここから見るとなんかすごい縦長に見えるな。
南西側坑口
来ました。南西側坑口。
デザインは北西側と同じですが、こちらの方が手前に余計なものが無くて見やすいですね。👍
唯一北東側と違うのは、こちらには扁額がある。
「霧ヶ峯隧道」
霧ヶ峰の「みね」の字が「峯」となっていますが、昔はこちらの字が使われていたようです。古い地形図も「霧ヶ峯」となっています。
矢印のところをアップしたのが次の写真。
「長野縣知事 林虎雄書」
扁額の文字は県知事によるものということ。🖌
県知事が揮毫するということはそれなりに重要な隧道であったと思われますが、この隧道の目的はよく分かっていません。
さらにこちら側の坑口には内部に2つの情報があります。📝
一つは竣工年
「昭和二十七年八月竣工」
もう一つは施工会社
「宝建設株式會社施工」
数少ない重要な情報です。
内部の様子
内部は、コンクリートの巻き立てがなくなったところから崩れてますが、その先は特に崩れていなさそうです。
さらに奥はきれいな状態です。
この日はライトを持ってきていなかったので、坑口付近から感度を上げて望遠で撮影しています。
Web上の情報によると、中心付近でまたコンクリート巻き立て部分があるようです。
またそのうち行ってみるか。まあ、その先で閉塞していることは分かっているのですが。
最後に
トンネルが少ないこの辺りに昭和27年に作られ、立派な坑門を持つ隧道ですから、何かしら重要な目的があったと思われるのですが、この隧道が作られた理由は情報が無くまだ分かっていません。
継続して調査していきたいと思いますが、何かご存じの方いましたら情報お待ちしてます。🙇♂️