リジェのキャンプブログ

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【廃隧道】半過 明治の手掘り隧道(影通隧道)

名勝岩鼻で有名な上田市の半過(はんが)地区ですが、古くから断崖と千曲川に挟まれた交通の難所だった場所です。

現在は岩鼻トンネルと半過トンネルの2本のトンネルで通過して行きますが、現在の半過トンネルの近くに明治時代に作られた手掘りの隧道があります。

以前泉田村誌でその存在を知りどこにあるのか気になっていたところ、今回改めて探してみるとあっけなく見つかりました。

 

 

きっかけ

2012年某日、図書館で市町村誌の道路関係の章をパラパラとみていたところ、泉田村誌の中で気になる記述を見つけました。

(泉田村は1956年に上田市編入された村で、半過岩鼻のある半過地区を含む村でした。)

この気になった記述というのが以下です。

(略)この川原どおりは岩鼻、影通の崖下通りであろう。ここも難所少しの増水にも不通になるので影通トンネル開鑿が決定された。明治四十一年四月起工同年十二月延長卅六間之れに附帯する道路工事完了総工費二千五百七十四円六銭である。昭和八年県道力石(更級郡)中之条(上田市)線の開通により影通トンネルは廃道となつた

出典:泉田村誌

「廃道となった」

なかなか魅力的なワードじゃないですか。

明治41年にできた隧道が昭和8年には廃隧道になったと。

延長は卅六間(36間)=65.45m。

 

この影通トンネルをぜひ見てみたいと思って調べてみたのですが、ネット上では全く情報がありません。

また、明治43年の地形図でもトンネルの記号はありません。

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出典:国土地理院発行5万分1地形図 坂城 明治43年測図

候補になる場所としては上の地形図で「上半過」の「上」の字の辺りなのですが(文字が邪魔)、ちょうど当時まだできたばかりの国道18号バイパスの半過トンネルのすぐ近くということもあり、もう残っていないかなと、特に現地調査することなく放置状態になっていました。

ちなみにGoogleストリートビューで見ると以下の場所。

 

で、最近また気になって 現地に行ってみたところ、意外とあっけなく見つかったという結果です。

結果的には「影通トンネル」という名前が泉田村誌にしか記載がなく、一般的にはその呼び方で認知されていないようです。単純に半過の明治隧道として探すと情報はありました。

さらにはこのトンネル、観光スポットにされていました。

(そのせいで廃隧道として注目されていないのか?でも観光スポットとしても超マイナー。)

 

半過岩鼻 

今回は道の駅上田から探索を開始。

まずすぐ目に付くのが県の天然記念物に指定されている有名な観光スポット、半過岩鼻です。

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100m以上もある垂直に切り立った崖は千曲川の浸食によって出来たと言われています。

 

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無謀にもこの半過岩鼻の下に作られたのが、泉田村誌にも出てきた県道ですが、1956年(昭和31年)になって落石対策として半過洞門が作られました 。

当時はここに作るしかなかったんですね。

長年県道を守り続けた半過洞門も、1996年に大きな崩落で廃道となり、この手前に迂回する道が作られていますが、現在は岩鼻の中を岩鼻トンネルで抜けいていきます。

こちらは有名な廃洞門スポットですが、今回はスルー。

 

県道開通記念碑

目的地に行く前にもう少し寄り道。

以下の地形図にも書かれている記念碑のところへ行きます。

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出典:地理院地図を編集

以下の写真は上の場所から半過洞門の方向を向いています。

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まっすぐの道が半過洞門とともに廃道化された県道77号旧道。左の迂回路は地図上では県道77号になっていますが、現地の看板によると道の駅の園路扱いのようです。

この旧道上にあるのが以下の県道開通記念碑です。

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以前はなかった記念碑の訳文が近くに設置されていました。

(去年設置されたばかりのようで助かる。)

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この県道というのが、今回探索した影通トンネルが廃止になった原因である、昭和8年開通の県道であるわけで、トンネルに関する記述を期待しましたが、特にトンネルについては触れられていませんでした。
多額の工事費と難工事の末完成したことが熱く語られています。

 

県道の続き

寄り道前の続きですがここで分岐します。

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出典:地理院地図を編集

 

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 正面の高台に見えるのは半過公民館。住民の奉仕作業によって昭和26年に完成した建物は、当時近隣に比べると豪華な建物だったようです。

ここを直進するとバイパスの下り線、左に行くと上り線に合流します。

右が県道77号の続きで、地形図上は現役の道のように見えますが、実際は以下の状態。

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2008年、半過トンネル建設中に起きた落石事故によって通行止めになり、実質廃道状態となっています。こちらは後で行きます。まずは南側坑口を探すためバイパスをくぐって行きます。

 

あっけなく発見

バイパスをくぐってきたのが以下の場所。

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出典:地理院地図を編集

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バイパスの向こう側へ行きたいのですが、バイパスへ合流する道の横に下をくぐる通路らしきものが見えます。

 

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あ、通れないか。

 

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ん?なにか明かりが。

 

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あ、あった。

 

さらに横には以下の案内板が。

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手掘り隧道(元祖半過トンネル)

当隧道は、明治42年(1909)完遂した、上半過と下半過を結ぶ安全な生活道でした。その後トンネル北側の出入り口より眺める、千曲の清流、渡し船の情景、北アルプスの遠望は、大正10年(1921)に日本100景に選定されました。

完全にこの隧道を観光スポットとして見せようとしてるよね。その割にはもっとわかりやすい所に案内板はないのか?入り口は何か入っちゃいけない道みたいに見えるし。

バイパスの下の通路までは入れるようになってればもっとちゃんと坑口が見えるのに。

見せたいのか。見せたくないのか。どっちなんだ。

 

南側坑口にもうちょっと近づく

南側坑口付近に明かりが見えていたのでバイパスの反対側へ行けば何か見えそうです。

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正面に見えるのは国道18号バイパスの半過トンネル。

位置的にはここだな。

この柵からのぞいたのが以下の写真。

 

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ああ、国道のすぐ脇にこんなものが眠っているのがなんかイイ。

しかし、国道を走る車から見るとこんなところで必死に写真を撮っている姿は結構怪しい人に見えるんだろうな。

 

北側坑口を目指して

先ほど後回しにした県道77号の廃道区間に来ました。

貫通しているので、当然北側坑口がこちらに口を開けて待っているはずです。

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ここは以前も通ったことはありましたが、そのときは今回のトンネルのことは知らなかったので、特に意識して崖を眺めてはいませんでした。

 

f:id:ligier:20200630224824j:plainこの道が泉田村誌にもあった影通と呼ばれていた場所で、道が完成している現在ではただの川沿いの道ですが、この道ができるまでは崖と千曲川に挟まれた険しい道だったのです。

上を見ながら進んでいくと。

 

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あった。

 

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この高さに。

 

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さらに進むと坑口が緑に隠れて見えなくなりますが、坑口へつながる道があります。

 

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普通に道あるね。前回は全く気付かなかったよ。

 

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よし、通れそうだ。

 

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ん、蜘蛛の巣が多い。

 

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 木が邪魔。

 

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もうちょっと。

 

北側坑口

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来た。

 

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内部の崩れはあまりなさそう。

高さ7尺(=2.12m)幅2間(=3.64m)というスペックのようですが、内部は幅も2m程度か?

 

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坑口付近はごみや岩が散乱しています。

 

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なぜシリカゲル?

 

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外は落石が激しい。

 

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見上げるとちょっと嫌な感じで長居したくないところ。

 

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電灯が付けられていたのでしょうか?現役当時のもの?

 

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千曲川を挟んで対岸に見えるのが塩尻岩鼻。

ここから見える景色が南側の案内板にもあった日本百景に選ばれた景色です。

 

内部の様子

内部といっても坑口付近から反対側まで見渡せるので特に何かあるわけではないですが。

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こちらは中央より北寄りの位置から南側を見たところ。ほぼまっすぐです。

 

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逆に北側を見たところ。やや左に曲がっています。

また、見えずらいですが天井に電線のようなものが通っているのが分かります。

 

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電線の行き先はこちら。内部にも電灯が付けられていたようです。

 

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南側坑口を内部から。

国道側からこっちを見ている人がいたらビビるだろうな。

 

探索後の調査

探索後に、半過の手掘り隧道として探してみると、いくつか情報が見つかりました。

 

 

以下のページに、このトンネルの北側坑口から撮影され、日本百景に選ばれた写真が掲載されています。

https://kawasen-mz.com/detail/free_page_9.cfm?cl_id=1825

この写真は絵葉書になっていおり、ヤフオク等でも見つけることができます。

撮影時期は分かりませんが、この写真が大正10年に日本百景に選ばれたということなので、それ以前のものでしょう。

 

また、道の駅上田のホームページでも観光スポットとして今回の隧道が紹介されていました。

後日、再度道の駅上田に来てみると、以下の観光案内がありました。

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「㋷手掘りの隧道」

って思いっきり書いてあるじゃん。

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(書いてある内容は南側にあった案内板と同じです。)

 

イラストもよく見ると、

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しれっと北側坑口まで書かれてるし。

 

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またこちらにも現役当時と思われる北側坑口の写真がありました。

最初日本百景に選ばれた写真と同じものかと思いましたが、よく見るとちょっと違っています。

 

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電灯らしきものがついています。

やはり現役当時から電灯がついていたようです。

日本百景の写真の方には電灯はなかったので、こちらの方が新しい写真のようです。

 

 残った疑問

最後にこの隧道について調べている中で、一つの疑問が残りました。

それは「いつまでこの隧道は使われていたのか?」という点。

泉田村誌の記述によると昭和8年の県道開通で廃道になったとされていますが、昭和12年の地形図を見ると以下のようになっていました。

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出典:国土地理院発行5万分1地形図 坂城 昭和12年第2回修正測図

県道上に隧道があるように描かれている。

この記載は昭和27年の地形図まで変わっておらず、昭和37年になってやっと川沿いの道に記載が変わりました。

この地形図で混乱させられることになり、手掘りの隧道とは別の隧道があったのか?とも考えたりしましたが、現地にそれらしいものは見当たらないため、別の隧道はあり得ません。

もしくは、昭和8年以降も手掘りの隧道が使われていたのか?

 

はっきりしたことは分かりませんが、実際には地形図が修正されていないだけではないかと考えています。この辺りはもう少し調べてみたいと思います。

 

 調査結果を書きました。(2020/7/6追記)

ligier.hatenablog.com

 

動画

近日公開予定。。。