今回も比較的簡単にアクセスできる廃隧道として2012年5月に探索した、四十八曲隧道を紹介します。
場所、スペック
四十八曲隧道は長野県道55号 大町麻績インター千曲線上の千曲市と筑北村の境界にあった隧道です。
延長は165m、竣工は1963年(昭和38年)となっています。
現在は延長1513m、竣工2005年の坂上トンネルで置き換えられている、典型的な廃道区間となっています。
詳細な場所は以下のYahoo地図で確認できます。Googleマップでも旧道は確認できますが、隧道の位置は表示されていません。Yahoo地図ではきっちり隧道の位置まで確認できました。
千曲市側
千曲市側から紹介します。
旧道との分岐は現道の坂上トンネルの手前500mほどの位置にあります。
当然封鎖されていますが、基本的に車両のみの通行止めのようで、徒歩を止める意思は感じられません。
入り口にもあったように許可があれば車両も入れるため、たまに車両が入っているような形跡があり、あまり廃道といった雰囲気はありません。
カーブには上の写真のように番号がついています。旧道に入った時点で32です。いくつまであったかちゃんと見てませんが、写真に残っていたのは53号カーブがありました。48は超えてますね。
途中で現道に分岐する場所が1か所あります。工事中に使われた道でしょうか?
この道、Yahoo地図やGoogleマップには記載されていませんが、最新の地形図には記載されています。
しばらく上ると、市街地が見晴らせる場所に出ます。現道は見晴らせる高度に上がる前にトンネルに入ってしまいますので、旧道からしか見れない景色です。
途中で振り返ると青看が残っていました。3行目が消されていますが、ここは更埴かな?(現千曲市は現道ができる2005年より前の2003年に、更埴市、上山田町、戸倉町が合併して誕生しています。)
いよいよ最後のカーブに差し掛かります。
左に曲がるとすぐに坑口があります。
金網でふさがれていますが、入り口があります。(鍵がかかっているので入れませんが。)
坑門に装飾はあまりありませんが、現代のトンネルとは違う雰囲気があります。
この亀裂はいつからあったのでしょうか?
扁額は左書きですね。このスペースに対して扁額のプレートがちょっと小さい気もしますが、そういうデザインでしょうか?
内部は比較的きれいな状態に見えます。幅員は5.5mとなっているため、十分すれ違いはできたはずです。
隧道から振り返ったところ。市町村の表示は千曲市になっています。(千曲市になったのは現道が出来る2年前の2003年)
ここまで旧道の防護柵はガードロープでしたが、ここだけガードレールになっています。トンネルを出てすぐにカーブだとまっすぐ行っちゃうんでしょう。
反対側へ行くために現道のトンネルに戻ってきました。
なぜ名前が坂上トンネルなのでしょうか?
筑北村側
こちらも現道のトンネルの手前400mほどの位置に旧道への分岐があります。(写真はトンネルを抜けてきたところから撮影しています。)
こちらは塞がれてるのかどうかわからない微妙な状態でしたが、隧道手前に別な道があるため、この先は廃道ではありません。
明かに車の通りがある状態です。
特に何事もなく隧道手前まで来ました。
ここを左折すると、冠着山に通じる村道になります。この道があるためここまでは廃道になっていません。
また、丸く囲ったところに開通記念碑がありました。
開通記念碑は当時の長野県知事によって書かれたもののようですが、どういった意味の言葉かは分かりませんでした。
探索時、左折した村道は通行止めでした。旧道への分岐が中途半端に封鎖せれていたのはこのためかもしれません。
左折せずに道なりにまっすぐ行けばすぐに隧道に到達します。
こちら側はここまで車で来れます。
こちらも千曲市側と同様に封鎖されていますが、下に穴があけられていました。
坑門のデザインは千曲市側と同じ。大きな破損はなさそうです。
振り返ってみると。市町村の表示は筑北村になっています。(こちらも筑北村になったのは2005年)
また、ここにはヘキサが残っています。
路線名は「大町麻績インター戸倉線」。ここは修正されなかったんですね。
ではまた。